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「五十崎藩、藩づくり哲学 その「V」 

えひめ地域づくり研究会議 
運営委員 亀岡 徹 

我が五十崎藩は、いつも述べるごとく、

 (1)美しい自然
 (2)美しい人
 (3)美しい産業

を、基本戦略として、行動しています。
その内、(3)美しい産業と言う言葉に、非常に広い意味を持たせていましたが、納まり切らなくなったので、「美しい産業」を「美しいネットワーク」に、言葉を変更しました。(1)、(2)については以前に述べたので、今日は、(3)について述べます。

私達は、常日頃色々な「しくみ」を使いながら生きている。色々な「しくみ」とは、例えば、役場・農協・税務署・商工会・企業・文化団体・グループ・etc、など、たくさん有ります。ややもすると、色々なしくみに「属しながら」と、考えがちでありますが、そうではなくて、しくみを「使いながら」生きている。「しくみ」は「すてきな五十崎」を作る”道具”として存在する。「しくみ」や「主義主張」は、それそのものに意味があるのではなく、それは道具として使われて初めて意味を帯びる。それはあくまで道具であるから、鋸や鎌に等しい使い手の降り回し方によって多様な働きを示す。

では、その「しくみ」はどうあるべきか。「しくみ」はネットワーク状でなければならない。即ち網状でなければ、ネットワークを使う人(兵士)が充分な働きが出来ない。網状組織とは、中心点(権力集中点)を持たず、始まりも終りもない、一カ所を引っぱれば全体がしなやかに延びて、各菱形の網部はその引っぱる力に応じて変形しながら対応する。情報を発信しながら、それはあたかも、各分子(しくみ)がコロイド状となってキラキラと浮き漂っているような状態である。その浮遊物体を浮かしている液体は非常にやさしい組成から成り、コロイドの分子と分子の情報伝導体でもある。

情報伝導液体については、浮遊物体そのものも非常に柔らかく、定型ではない、あやふやな、あいまいな型をしている。あいまいであやふやなと言うことは、液体に浮かんだとき表面張力が0に近いので、無限にあやふやに広がろうとする性質を持ち、それゆえに液体の表面一面に広がり、他の組織とも重なり合ってキラキラと情報を発信する。

この反対に、表面張力が強く固いと、内に引っぱる力が強く内にこもってゆく。ほとんど球形となり、(ご承知のように浮力は、液体につかっている部分の体積に比例するから)球形組織体は、浮力を失って沈んでゆく。沈んだ運動体は、新陳代謝はなく、やがて腐り始める。最も怖いのは、腐りつつあることをこれは正義だ、と思い始めることだ。腐臭を放ちつつ、腐敗毒を振り撒き内にこもる。運動体は淋しがりやなのでカラオケなども歌いつつ、隣の組織も吾と同じであるべきだと思い始めたりする。なぜならば、内にこもる硬い運動体の最大の武器は多数決だからである。

このようにして「美しいネットワーク」は、出来るだけ求心力のない、表面張力の低い、はなはだあやふやな、しかも、運動体全面から情報を発信する組織体と言うことになる。

それでは、そのネットワークづくりの必要条件は、どうか。

 1.人は信用せず愛すること。
 2.多数決は、存在しない。おのれ一人の力で登ること。
   但し、追随者は容認をし、決してケトばしたりしないこと。

 3.家庭は、町づくりの道具であり、あってもなくても、同じことである。
 4.言葉でもって、人が説得出来るなどという妄想をいだいてはならない。
 5.いのち・金・地位・名誉は、すてきな劇を演ずる舞台上の小道具である。
   演ずる劇がなければ、元々必要のないものである。

どんなことがあっても多数決でネットワークを動かしてはならない。多数決を導入したとき、浮遊組織体は、ガン細胞に侵され腐り始める。多さと正しさが時として一致しないことは、過去の例を待つまでもない、美しいネットワークが存在し得る絶対条件である。間に合わなければ、共に安楽死をしようではないか。

最後に一遍の詩を引用する。

カルロス・カスタネダ「力の物語」より。
 一つ、孤独な鳥は 高く高く飛ぶ
 二つ、孤独な鳥は 仲間を求めない
 三つ、孤独な鳥は 嘴を天空に向ける
 四つ、孤独な鳥は 決まった色を持たない
 五つ、孤独な鳥は 静かに歌う

 
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